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西村義明プロデューサー インタビュー
第2回 田辺修が納得するまで映画は作らない

── 田辺さんの画を活かすという方向になったのは、『かぐや』の企画初期から?

西村 うん、それが初志ですね。線、芝居、色のスタイル。田辺修という1人の才能が持っているものを全部活かす。

── それは題材選びにも関わってくるわけですよね。

西村 もちろん。『山田くん』を終えたときから、高畑さんは「田辺修しかいない」と思っていて、田辺修がその企画に対して頷かないのであれば、その映画は作らない、と。「平家物語」の企画もあったし、アイヌの民話を映画にしようとしたこともあったし、宮沢賢治の作品をやろうとしたこともあった。でも、結局はすべて、田辺さんが1枚も画を描かなかったんですよ。

── 企画が出ているのに?

西村 高畑さんが「これでどうだ」と言うんだけど、田辺さんのほうで実感が沸かなかったんでしょうね。それとも単なるサボり癖なのか、本人じゃないから分かりませんけどね。でも、結果として1枚も描かなかった。高畑さんは、ご自身でイメージボードを描いたりしない方だから、田辺さんがキャラクターを描いたり、イメージボードを描いたりしてくれないかぎり、企画なんて一歩も前に進みませんから。
 高畑さんって本当に具体の人なので、具体的なものが積み重なっていかないと前に進んでくれないんですよ。そのなかでいちばん大事なのは、画じゃないですか。その画を描くためにいる人が、1枚たりとも描かなかった。だから、僕が入る前の数年間は、一切企画が動いてない。それは企画って言わないですよね。

── 1枚も描かないということは、田辺さんはその間、何をされてるんですか。他の仕事とか?

西村 まあ、ちょこちょこありましたけどね。

── そんなに大きいものはないですよね。

西村 ないです。だから、座ってるんです。ずっと、机を前にして。

── 田辺さんに向いてるものって、なんなんでしょうね。

西村 僕が思うに、田辺さんって、デフォルメされたものを人間らしく動かすことにかけては右に出る者がいないと思うんですよ。もちろん、読売新聞の「瓦版編」(編注:読売新聞社の企業CM)みたいなものを描かせてもすごいんですけど、「どれどれの唄」のPVとか『ギブリーズ episode2』の田辺さんパートとかは、似たようなところにあると思うんですよね。

── 「どれどれの唄」って虫のキャラクターがいっぱい出てくるやつですよね。

西村 そうです。歌っている拝郷メイコさんを模したような女の子がギター抱えて歩いてて、その手足がグニャグニャになってるんですけど、あれはまさに「あ、感じ出てるなあ」ってやつですよね。心地いいときって、こうやって足をふわって振り上げて歩くよな、っていう。そういうものを描かせたらすごいですよね、あの人。『山田くん』も同じところにあると思いますよ。とにかく「感じ」を掴むのがうまい。そこを高畑さんはいちばん評価してますよね。まあ、ひと言で言えば天才なんですね。

── で、田辺さんは『かぐや姫』では動いたんですか。

西村 結果としてですね。それまでは本当に動かなかったんですよ。ある時期、僕の前任者と高畑さんが「竹取物語」……つまり、のちに『かぐや姫の物語』となる企画を考えていたんですけど、もう全然動かないので、僕が担当に就かされるんです。企画の骨子自体は、55年前に高畑さんが着想した「竹取物語」のプロットがもうあるわけですから、それを具体的にしていけばいいわけですけど、全然具体にならないんですよ。画を描かないから。田辺さんは1年半ぐらい『かぐや姫』には関わってるはずだし、ご自身でも「自分がジブリに残っているのは高畑勲監督の作品をやるためだ」と言っているのに、1枚も画を描かなかった。そんな状況で僕が投入されたんですけど、4ヶ月ぐらい経った頃かな? 僕はまだ投入されて間もなかったから「まあ、これからだろう」と思っていたけど、トータルで言えば2年間ぐらい動いてないわけですからね。鈴木敏夫プロデューサーが来て「田辺君が画を描かないんだったら、田辺君が画を描ける企画にしなきゃいけないだろう」と。

── なるほど。

西村 そのとき、田辺さんは明治時代について大塚伸治さんと研究してたんですよ。本人は「研究なんかしてない」と言ってますけど。

── 明治時代ですか。

西村 そう。明治時代の女性のしぐさとか、人の歩き方とか。その研究成果は、読売新聞の「瓦版編」にも部分的に表れていると思うんですけどね。なぜ明治時代かというと、明治までだったら写真資料とか映像資料をもとに、実感のこもった芝居が描ける。だから明治までが限界だ、と言っていたんです。だとしたら、明治以降を扱ったものにしなきゃいかんということで、鈴木さんが出してきたのが「山本周五郎の『柳橋物語』はどうだ」というアイデアだった。舞台は江戸末期なんですけど、明治と近いから大丈夫だろうと(笑)。

── それは高畑さんも了承した上で?

西村 いや。誤解を恐れずに言えば、高畑さんには内緒で、裏で動いたわけです。それで田辺さんに掛け合ったところ、それこそ7年間ぐらい高畑さんの企画のためには1枚も描かなった人が、描いたんですよ。「柳橋物語」のキャラクターを。

── どのくらい描いたんですか。

西村 B4の紙2枚ぐらいかな。顔だけでしたけどね。で、高畑、鈴木、僕、僕の前任者が集まって、その画を高畑さんに見せたんです。そのときの高畑さんの発言が興味深かった。7年間やって、自分の企画のためにはまったく腕を動かさなかった人間が、鈴木さんの出した「柳橋物語」には画を描いてきたわけです。それをバッと見て、じーっと見ながら、10分間ぐらい沈黙するんですよ。で、その画を置いて、ふーっと溜息をついて「悔しい」と。そりゃそうですよね。

── 緊張感ありますね(笑)。

西村 で、また間を置いて「いやあ、巧いですよ」とか言ったあと、怒り出すんです。

── え?

西村 「こんな巧いものを、誰が描けるんだ!」って。「この画で長編アニメを作ることの難しさを、彼は全然分かってない! 彼は経験が少なすぎる! この大変さが分かってないんだ!」って、バーッと怒り出して。

── いい画ではあるけれども、みんなが描ける画ではなかった?

西村 もう、まったく描けないですね。巧すぎるんです。べらぼうに巧かった。素人の僕が見てもそう思いました。要は、写実的なリアリズムで描かれたキャラクターじゃないんですよ。だけど「あ、明治の女性だ!」ってことは一目で分かる。別にキャラクターの説明文が添えられているわけじゃなくて、顔だけでその人がどんな人間か分かるんです。こんな画を描く人って、あんまりいないと思うんですよね。喩えて言うなら「北斎漫画」みたいなものなんですよ。

── おお~、なるほど。

西村 「北斎漫画」も写実ではないけど、そういう「感じが伝わる」瞬間を捉えていて、うまいな~と思わせるじゃないですか。田辺さんも、そういう力を持ってるんですよね。で、高畑さんはその画を見て「これはできない」と。そして「そもそも私は『柳橋物語』は作りたいと思っていない」と。もし明治時代でやるのなら、別の企画があると言って高畑さんが出してきたのが「子守唄の誕生」という企画だったんですよ(編注:赤坂憲雄による子守り唄についての同題学術書を元にした企画だった)。

── それで、その「子守唄の誕生」は企画として動いたんですか。

西村 1年半研究して、田辺さんも「子守唄の誕生」の画は描いたんです。ただ、企画としてはまとまらなかった。一方で『かぐや姫』も選択肢のひとつとして検討しつつ、2年ぐらい経ったのかな。ロケハンにも行ってるし、資料もいっぱい集めてるし、その時点で僕らの人件費も含めて、数百万ぐらい使っていたかもしれない。もう会社に対して申し訳が立たないから、ちゃんと説明しに行きましょうと高畑さんに言ったんです。それで、前日に高畑さんの家に集まって話していたとき「『子守唄の誕生』はやっぱりできません」と言う。ただ、「子守唄の誕生」を検討した今なら『かぐや姫』は作れる、と。それで『かぐや姫』の企画に戻ったんです。

── 田辺さんは、その段階では「子守唄」の画を結構描いていたんですか?

西村 B4で10枚ぐらい描きましたかね。1年半で10枚。まあ、描いたほうですよ(笑)。

一同 (笑)。

西村 これが描いたほうだからキツいんだよな。まあ、ひとつひとつの画はべらぼうに巧いですけどね。今でも「子守唄」は短編で作れるだろうと思いますよ。でも、企画が『かぐや姫』に戻った時点で、あることが忘れ去られてるじゃないですか。

── つまり……。

西村 田辺さんは平安時代が描けないと言っていたんですよ。で、また描かなくなるんです。前任者にしてみれば、悪夢の再現ですよ。田辺さんは画を描かなくなる、それによって高畑さんもやる気を失っていく。それで前任者が降りたんです。僕は前任者の気持ちがよく分かりますよ。あのとき、本当にキツかったから。なんにも動かないんですもん、何年やっても。

── 大変ですねえ……。

西村 でも、ようやく田辺さんは描き出すんです。ゆっくりゆっくりと、周囲の説得に応じてというか。

── それは何かきっかけがあったんですか。

西村 もう脚本を作っちゃえ、という話になったんですよ。高畑さんと話して、脚本があれば大体の実感が湧いてくるだろうと。高畑さんもそうだし、田辺さんも具体の人だから、具体的であればあるほどイメージが湧きやすい。実際、それで徐々に描き出したんです。だから、企画が『かぐや姫』に決まったところでバッと準備が始まったわけじゃなくて、なんかグググーッと動き出していくような感じでしたね。水面ギリギリをずーっと飛んでるような、いつ落ちるかもしれない、という感じ。

●『かぐや姫の物語』公式サイト
http://kaguyahime-monogatari.jp/

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