COLUMN

第64回 リアル艦これ

 相変わらず「港が風景の中に見えるカット」のレイアウトを進行中。浦谷さんがラフを描いてくるたびに、
 「船はちょっと待って。船以外を進めといて」
 というしかなく、船のいない絵が溜まってきている。
 デカくて碇泊位置がはっきりしている大和と榛名はちょっと描いてもらった。戦艦榛名はどうもかなり調子が悪くなっていたみたいで、昭和20年に入ると港内丁錨地に居座りっぱなしで、半年ほどまったく位置を変えないので、わかりやすい。
 そのほか港の中にどんなふうに船を描けばよいのか、なんとなくでもよいから把握しておかなくちゃならない。パターンがあるのなら、そういうものを知っておきたい。
 港内の姿を捉えた航空写真は何枚かあるのだが、全部、空襲か偵察に来た米軍機が撮影したもので、つまり、昭和20年3月頃くらい以降のものしかない。
 その中で一番船の種類と位置がわかりやすいのが20年3月28日のものだったので、ある意味「こんな感じ」と思ってしまったりもした。3月28日の米軍の空中偵察写真には、二河川河口から川原石の前あたりにかけて、駆逐艦がずらりと並んで映っている。駆逐艦はスピードを出すために極めて細長い、空から見ると鉛筆みたいな船型なので、よくわかる。このあたりのことは、使っている海軍の図面にも「駆逐艦繋留場」と書かれているし、こんなものだと思っていた。手前にずらっと並んだ駆逐艦の群れの向こう側に大和の巨体が入ってきて、それを段々畑のすずさんが眺めている、みたいに。絵コンテはそんなふうにしてしまった。
 いろんな船の行動や呉への出入りを集めて一覧表にしているうちに、気がついた。昭和20年3月28日って、大和が沖縄に向けて最後の片道出撃をするために、その護衛部隊を呉に集結させていた日取りじゃないか。このあと、大和とこの駆逐艦たちは三田尻沖に移動して、それから豊後水道を出てゆくことになる。ということは、空中写真にはどうも18隻くらい駆逐艦が見えるのだけど、いつもいつもこんなにたくさんの駆逐艦がいるわけでもなさそうな感じなのだった。どうすればわかるだろう。駆逐艦1隻1隻の行動をプロットしてみるしかないのかも。結局それか。とりあえず、すでに沈んでしまった駆逐艦を除いたリストを作って、その行動をエクセルの表に書き込んでゆく。いうほど簡単じゃない。部隊ごとの戦時日誌を底引き網的に引っ張り出してきて調べなくちゃならない。軍艦の行動日程のコレクターになってしまった感じ。
 たいへんめんどくさいことなので全然終わらないのだが(完璧を期して終える必要もないことでもあるし)、そうして整理してみると、呉にはやっぱり一時に駆逐艦が4隻も在泊していればいいくらいの感じで、船を描きたければほかのものを探してくるしかない。

 海軍省や呉鎮守府で徴庸した特設運送船、配当船、船舶運営会の統制船、こういったものは民間の貨物船や客船を軍用に使っているのだからそれなりに大きい。小は1000トン弱から、1万トン超えまで。中には豪華客船浅間丸17000トンなんていうのまである。大きい船は戦艦や空母と同じ区画に繋留される。
 小さい船のための駆逐艦繋留場にいたとしたら。呉海軍運輸部、呉海軍軍需部、呉海軍工廠あたりの配属船。このあたりが19トンくらいから200トンちょっとくらいまで。ほとんどが機帆船か漁船の転用で、個々の姿を示す写真もろくに残っていないようなのだが、幸い、先日周防大島久賀の歴史民俗資料館を訪れたときにやっていた特集展示が、その時代の広島湾あたりの機帆船についてのものだった。雰囲気はじゅうぶんわかる。
 ちょっとしたはずみで、昭和19年9月の呉軍港第一ポンツーン付近の写真が出てきた。新しくできたカテゴリーの軍艦「輸送艦」を写そうとした写真なのだけど、その背景にはまさしく機帆船が写っていて、やっぱり港の真ん中にはこうした船が往き来してたのだなあ、と思わされる。軍艦と同じ鼠色に塗られて、味方識別の日の丸をペンキで船体に描き、白文字で船名らしきものも書かれている。だけど、バウスプリットもしっかりあって、これは紛うかたなく「機帆船」だ。
 この写真には連続して写された切り返しのものもあって、港中央のあたりに、すごくスタイルのいい貨客船と、古ぼけた3本煙突の軍艦が浮標繋留されているのが写っている。というか、白く飛んでいる背景を思いっきりコントラスト上げて拡大してみてようやくわかった。右の方に見える駆逐艦繋留場のあたりには、駆逐艦1隻とETクラス(850トンくらい)の小さいタンカーみたいなもの1隻が繋留されていて、あとは小船くらいでがらんとしている。やっぱりこんなものだったのだ。
 ところで、このスタイルのいい貨客船は特設潜水母艦筑紫丸だった。この船はどうもずっと呉にいずっぱりだったみたいなので、覚えておくのがよさそうだ。3本煙突の方は、はじめ日露戦争時代の装甲巡洋艦を呉や江田島付近で練習艦として使っているのかとも思った。この撮影日には出雲と磐手が呉にいたはずだ。けれど、それにしては煙突が低い。5500トン級の軽巡洋艦みたいだ。別にこれが何のフネなのか知っておかなければならない必要もないのだけれど、成り行き上、また5500トン級軽巡洋艦のこの時点で生き残っている艦名のリストを作り、行動を調べてみる。軽巡コレクション。五十鈴は横浜で改装中、鬼怒は外地、阿武隈か玉の可能性もあるけれど、どうもこの写真のは木曾みたいだ。
 こんな調子なら、徴用された漁船の船名コレクションも始めればいいのだろうけれど、実はリストそのものは手に入っている。これをどうこうするのがおっくうになっている。なんとも実にたくさんの漁船名が記されていて、それらがみんな呉鎮守府で使われていたということだけ飲み込んでおけばもう十分なのじゃないだろうか。
 それにしても、こんなにたくさんの漁船を海軍に引っ張ってしまって、肝心の漁労は大丈夫だったのだろうか。
 と思えば、爆雷を撒いたり空襲で爆弾が落ちたりして水中爆発があると、浮かんできた魚を採るためにたちまちにして大量の漁船が出現した、という話もいくつもあって、庶民レベルのしたたかさのようなものを感じる。浮いた魚は軍艦と小舟たちで取り合いになるのだけど、小舟の方が圧倒的にたくさん魚を持ち帰ってしまった、などという。
 そうした魚がすずさんの食卓に上ったのだといいのだけど。

 レイアウトの作業はいったん呉を離れて、これまためんどくさそうな昭和8年の広島、本川流域の俯瞰に移る。

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