COLUMN

第62回 軍艦にあらざるフネたちが織りなす軍港の風景

 呉の町の片隅にあるすずさんの家の裏には、段々畑があって、はるか数キロ離れた呉港まで見晴らすことができる。畑には季節ごとに違った作物が植わっているだろうし、縁取る雑草も様子が変わってゆくだろうし、そうしたものが刻む時の中で、人々の景色も移ろってゆく。ここは肝心でだいじなところだ。
 畑から見える港は軍港だったので、いつもそこにはなにがしか浮かんでいる海軍の軍艦の姿がある。常に任務や作戦が与えられていたはずの軍艦たちは頻繁に出入りを繰り返していて、ここでも風景は毎日毎日様子の違ったものになっていただろう。その変化も描けるに越したことはない。
 しかし、軍港っていったいどんな様子だったのだろう?
 戦艦とか航空母艦とか大きなフネの出入りはいろんなものを読んでいればそれなりにたどることはできる。ナントカ作戦に従事するために出撃した、あるいは帰投した、みたいな話を丹念に集めていけばよい。とはいいつつ、自分はあまりその手のことに詳しい人間ではないので、それなりのことはしなければならなくはあるのだが。ただ、それは「理解」するための最初の端っこではあるのだが、そこから終点までははるかに遠い感じしかしない。
 まず、そうした大きな軍艦たちはそれぞれ、港の中のどの位置に、どちら向けにどう停泊してたのだろうか。これについては、呉軍港内では錨泊ではなく、岸壁に着岸することもあるけれど、それよりも浮標にもやうのが普通で、その浮標が何個あってどこに置かれていてどんな番号が振ってあったのかまでは、それを記した海図を手に入れられたので、なんとかなっている。
 そこから先、例えば有名な吉田満『戦艦大和ノ最期』みたいな本には、「20年3月、大和は二十六番浮標に繋留中であって、これは港の最も外側に位置する大浮標である」「3月29日早朝には艦内スピーカーが鳴って、出港準備作業開始時刻と出港時刻が予告された」というようなことが書かれている。まずは、こういった類を手に入れられるだけ集めてみることにしたい。
 ……といいつつ、そういうことが載っている本がどこにあるなんという本なのか、いきなりにはあたりもつけられない。視界に入ってきたものから順に眺めてゆくしかない。
 写真はないのか? 港を見おろす山の中腹からスケッチを描いていても捕まってしまう時代が舞台なのだ。写真はほとんどない。「ほとんど」というと少しはあるのか、といわれれば、これが少しだけ「ある」。アメリカの飛行機が空襲中に撮った写真と、その前後に高空から写真偵察していたときのもので、当然、時期が限られてしまう。彼らが来なかった日のものは「ない」のである。具体的にいうと20年3月19日の艦載機空襲以降のものは飛び飛びの日付で撮影されていて、ということは、すずさんがこの土地に来てから最初の1年くらいは空白になってしまうのだった。
 資料がないならないで、せめて類推できるようになりたいので、とりあえずあるだけの米軍写真を眺めることにする。ここでフォトショップという便利な道具がある。米軍写真を繋留浮標の位置を記した海図にうまく重ね合わせることができたなら、少なくともそれら写真のある日にはどのフネが何番にいたのかくらいはわかるようになるのじゃないか。
 やってみた。
 20年3月19日。「D14番浮標」「D16番浮標」には駆逐艦「磯風」と「雪風」が、「D26番浮標」には駆逐艦「宵月」がいるらしい。そもそも海図には「D」のつく浮標のエリアには「駆逐艦繋留場」と書かれていて符合するのだが、そもそもこうした3隻の艦名が浮かび上がっているのは、ほかの駆逐艦が出払っている中で、この3隻だけは呉港にいたことがわかっていたからなのであって、それ以外にもまだこのエリアに何隻か泊まっている姿が写真の残っているフネたちは、そもそも軍艦の格好すらしていない雑役船の類のように見える。そのほかこの日には「15番浮標」に病院船「高砂丸」がいる。病院船は真っ白塗りなのでわかりやすい。「高砂丸」と縦に並んで沖側の「18番浮標」には航空戦艦「日向」がいる。同型艦の「伊勢」と見分けがつきにくいが、「日向」には「それ以前18番浮標にいて、空襲時21番浮標だった」話が伝わっていて、それが半分だけ正解だったらしい。「日向」「高砂丸」と縦に並んだひとつ内側の「11番浮標」にもちょっと大きな船影があるのだけれど、なんとなくの形と、ほかの軍艦のサイズと比較して割り出してみたこの船影の長さから、巡洋艦「北上」かもしれない、と思ってみた。ところが、「北上」はこの当日、呉軍港ではなく、広島湾の反対側の柱島泊地にいたらしい、とわかってきてしまった。3月19日空襲中の米軍撮影写真にはアングル違いのものもあって、真上から撮られた「11番浮標」の船の平面型は明らかに「北上」のものとは違っていた。どうも戦時標準型の油槽船(タンカー)であるらしい。「ナントカ丸」という名前だったはずだ。
 と、ここまで話してきてわかってくるのは、日々の軍港の姿を描こうとするとき肝心なのは、「ナントカ丸」「カントカ丸」といった軍艦らしからぬフネたちであるようなのだ。いくつか名前のわかる軍艦の姿と位置はキャッチできたとして、それを上回って「いわゆる軍艦」以外の船影が多く存在している。こういう方面の勘どころをつかんでいかなくてはならないのだけれど。
 「能代丸」「南海丸」「西貢丸」「護國丸」「讃岐丸」「筥崎丸」「浅間丸」「朝日丸」「天応丸」「吉野丸」「氷川丸」「室津丸」「旭東丸」「興川丸」「梓丸」「国洋丸」「日栄丸」「良栄丸」「筑紫丸」、これらはまだ大物の方だ。
 呉海軍運輸部の「興進丸」「翼賛丸」「日興丸」「第一喜宝丸」といった船たちが石炭や鋼材や工業材料を運び、呉海軍軍需部のさらに小さな「栄宝丸」(19トン)や「蛭子丸」(18トン)たちが毎日港内の水面をくるくる回っている。そうした雑役船たち。
 そのあいだにさらに内火艇も曳船もいる。
 さらにはそうした船たちが交通しながら立てていただろう「音」。呉の高台に実地に立ってみると、すり鉢状の地形の下の方からはあらゆる音が伝わってくようで、それこそが呉なのだな、と思う。
 櫓で漕ぐような小舟もあって、これらは朝、停泊中の軍艦から岸まで糧食を仕入れにゆくフネだ。港に浮かぶ船の上にも生活があり、一日の日課があってそうしたものが回っている。
 なんとなくはイメージできてきたのだけれど、終点の姿はまだまだ見えず、遠くてどうしようもないような気がしてならない。

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