COLUMN

018 『しわ』を観た(2013年11月18日)

 先週の金曜に早稲田松竹で『パリ猫ディノの夜』と『しわ』の2本立てを観てきた。前者は2010年のフランスの、後者は2011年のスペインの劇場アニメーションだ。周りで『パリ猫ディノの夜』の評判がよかったので劇場に足を運んだ。『パリ猫ディノの夜』も楽しめたのだが、ドシンときたのは『しわ』の方だった。
 『しわ』は老いと認知症というモチーフにした作品である。主人公のエミリオは銀行員として働いていた男で、認知症の症状が出たことから養護施設に預けられる。エミリオと同室になったミゲルは胡散臭いところのあり、他の老人を騙して金を巻き上げている。他には、他人の言うことをオウム返しに言う元DJの男性、自分の部屋をオリエント急行の客室だと思い込んでいる女性、健康であるにも関わらず、アルツハイマーの夫の面倒を見るために一緒に施設に入った妻など。そんな様々な老人たちの日々が描かれる。
 力のある作品だ。物語が丁寧にしっかりと構成されている。重たいモチーフに対して正面から取り組んでいるが、必要以上に深刻にはならず、語り口は穏やかだ。物語が進むにつれて、エミリオの認知症も進んでいく。いわゆるハッピーエンドはありえない内容だ。作り手はいったいどうやってこの作品を終わらせるつもりなのだろうと、半ば心配しながら鑑賞していたのだが、終わらせ方も見事。ハッピーエンドであり、重たくもあるラストだと僕は受け止めた。
 現実離れした描写はほとんどない。養護施設の老人たちの日々といった地に足の着いた内容を、アニメーションで描く理由があるのか? と問われれば「ある」と答えたい。同じ内容を実写で撮ったとしたら、登場人物の存在感は増しただろうし、ドラマも深くなっただろう。ではあるが、抽象化されたキャラクターが登場するアニメーションだからこそ、普遍性が高まっている。つまり、観客に劇中の出来事を「これは自分の身に起きることかもしれない」と思わせる力が強まっているはずだ。
 観客の年齢によって受け取り方が違う映画だろうとも思う。僕が若い頃に観たら、自分にとって遠い未来の話だと感じ、切実さは感じなかっただろう。中年である僕にとっては、そんなに遠くない未来に自分と無関係ではなくなる内容であり、グサグサと突き刺さるところがいくつもあった。もっと年を重ねたときにどう感じるのかは分からない。
 この作品を観た翌日に、個々の場面を反芻し、その意味を考え、切なさを感じ、今度の自分の人生について思いをめぐらせた。少なくともこれからしばらく、僕の中に残る映画になるはずだ。

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