COLUMN

第42回 アルファベットの形

 相生橋付近のレイアウトを進めている。
 相生橋は、原作「冬の記憶」の11ページ目に出てくる。手前に橋があって、奥にも橋があって、帆掛け船が往来している絵になっている。この手前と奥のどっちの橋が相生橋なのか、というと両方がそうなのだ。
 この橋は、太田川(今の太田川ではなくて旧太田川。この辺からしてややこしい)が、中洲で分岐して本川と元安川に分かれるあたりに架かっている。この中洲が、前から話題にしている中島本町なのである。
 元々は、中島から本川と元安川の両方の対岸に人が歩く橋を作ったところから始まった。「鍛冶屋町—中島」「中島—猿楽町」と架かるふたつの橋は一直線ではなく上から見ると、右側が上流として「く」みたいな形。「く」の字の真ん中の曲っているところが中島の突端の慈仙寺鼻。ふたつ仲良く連ねた橋なので「相生橋」という名前になったのかもしれない。
 次いで、その少し上流側に鍛冶屋町と猿楽町を直接結ぶ電車橋が架けられて、「くI」になった。「I」の方は広電の電車の線路分だけの橋でしかない。この「く」と「I」の両方が大正8年の水害で落ちた。復旧されるのは昭和7年だというが、自分が持っている昭和5年の地図ではすでに「くI」の形に描かれている。いずれにしても、原作「冬の記憶」11ページ目の相生橋はこの時点でのカタチをしていることになる。水害後に架けなおされた「I」は、電車だけでなく、人や荷車や自動車も通れる幅の広い橋になっている。
 白状すると、一番最初に「この世界の片隅に」を読んだときにはまだ広島のこうした細かい歴史は全然知らなかったので、もう一度同じマンガの中に同じ橋が出てきていることに気づかなかった。単純に「広島って橋が多くって、広島を描こうとすると橋がよく出てくるんだな」くらいに思ってしまった。こういうところを全く説明しようとしない姿勢が、こうの史代さんのかっこいいところでもある。
 舞台になっている土地の古い写真を集めて、パソコンの中のフォルダにどんどん放り込んでゆくと、それまで雑然としていたものが突然パターンを形作って見えてくることがある。
 「くI」だった橋は、今度は慈仙寺鼻から「I」の橋の真ん中に向けた橋が作られて、「H」型になる。左側の橋は「く」の字のままなのだけど、表現しようがないので「H」型ということにしておいてほしい。
 次いで、一番最初からあった「く」の橋が取り払われて、「T」を右に90度横倒しにした形になった。ここも表現しようがないから「T」ということにしてしまったので、以降、「T」の上の方が上流側ということにしてほしい。

 「T」の字型の橋は珍しい。広島には本当に橋が多いのだけれど、空から見てもこの橋だけは一目瞭然によくわかる。なので、昭和20年8月6日、原爆を落とすB‐29はこの橋をターゲットに据えた。狙いは南西側に200数十メートル外れて、細工町の島病院の真上に落ちた。この島病院は今も当時と同じ場所で開業しておられる。
 原爆の直撃を避けられた「T」字型の相生橋だが、衝撃波は川面に反射し、下からもこの橋を攻めた。ために、橋は橋脚から持ち上げられ、再び橋脚の上に落ちた。元の位置とは少しずれて落ちたが、崩壊は免れた。
 原爆投下翌日の7日にも米軍の偵察機が飛来し、この橋を写真に収めているのだが、このときにはまだ煙がかかっている。その次の日8日、さらに11日にも米軍偵察機が写真を撮っているのだが、相生橋に通じる道路上の様子がこの両日で変わっているようにも見える。どうも、原爆投下直後から、交通を回復するための復旧作業が行われていたらしい。
 そのさらに先の時点での相生橋の姿が「この世界の片隅に」原作にもう一度登場することになる。一度は吹き飛ばされかけ、しかし辛うじてまだ架かったまま、多くの人や車や電車をその上に通す橋として。

 さかのぼって眺め直すと、原作「冬の記憶」の11ページ目に描かれた相生橋の向こう側にうっすら見える岸は、基町だ。今は中央公園になっている。かつては「原爆スラム」などという名で呼ばれることもあってしまった、「夕凪の街 桜の国」の舞台の場所だ。それが、すずと周作がはじめて出会った橋の向こうにうっすらと見えている。
 そうした地形を調べ直しては、レイアウトに描きこんでゆく。
 ラフでチェックし、OK出して清書してもらっている最中に気づいた。「く」の橋と「I」の橋が並行になってしまっている。いったんOK出しておきながらごめんなさい、とアングルを変えて描き直してもらう。それらしい画面になってきた。

 実は、この物語のもうひとつの舞台、呉にも「相生橋」が存在する。りんさんの台詞「郵便局からふたつ右の角を上がるんと」と教えてくれる道のとおりにゆくと、この呉の相生橋あたりに出るのだった。こちらの方はマンガの中にも、われわれの画面にも現れることはない。けれど、ロケハンのときには頻繁にそのあたりを通らせてもらった。

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