COLUMN

第33回 キリがない


 明治時代の都市計画で作られた呉の町は碁盤の目のようになっていて、マス目の幅は、千年以上前の律令制で作られた周防国府の碁盤の目とまったく同じく1町(=100メートル強)の長さになっている。そういうとこは、『マイマイ新子と千年の魔法』の舞台とちょっと似ている。ただ、呉市の碁盤目は1マスが正方形でなく、横には1町なのだけど縦はだいぶ狭い(写真1)。

 京都の碁盤目だと、横方向に通る通りの名は、

  丸竹夷二押御池(まるたけえびすにおしおいけ)
  姉三六角蛸錦(あねさんろっかくたこにしき)
  ……

 とかいう歌で覚えるのだけど(高校の修学旅行で京都に行ったときの知識だ)、呉の場合、横に通る道は単に「一丁目筋、二丁目筋、三丁目筋……」だった(今は町名変更があって「何丁目」というのが変わってしまってる)。
 呉の碁盤目の縦筋は、右から「本通」「中通」「堺川通」「蔵本通」「岩方通」「今西通」「公園通」「東二河通」「西二河通」「西本通」「三城通」。
 この一番右の「本通」をずうっと下って行くと、「めがね橋」という交差点に出て、頭上をまたぐJR呉線のガードをくぐるところで道幅が急に変わる。鉄道のガードは昭和10年に国鉄呉線が三原まで延びたときに造られたものだから、戦後の本通拡幅より前の道幅に合わせた幅になっていて、仕方なくここをくぐる道は狭くなる(写真2)。
 ところでこの「眼鏡橋」というのは頭上を通る鉄道のガードのことではなくって、その昔はガードをくぐったところの足元に川が流れていて橋があった。戦前すでにこの川は暗渠にされていて「眼鏡橋」はなくなってしまっているのだが、その名前だけはずっと残っている。

 このガードをくぐると、左手に赤レンガ色の建物が見えてくる。海上自衛隊の呉集会所。すずさんの当時は「海仁会下士官兵集会所」といった。今みたいに無理にレンガ色にペンキ塗りした外壁ではなくて、黄土色のスクラッチ・タイル貼りだった。
 海仁会というのは、海軍の下士官兵の互助組織、まあ組合みたいなもので、軍艦で呉に入港して行き場のない下士官兵はここで泊まることができたし、デカい風呂に入ることもできた。それどころかちょっとしたデパート的な購買所もついていて、軍人だけでなくその家族も買い物に来ることができた。生協みたいな感じといえばよいのかな。
 「この世界の片隅に」の中で、すずさんは「19年9月」「20年6月」と2回、ここへ来ることになる。この下士官兵集会所から先は海軍の敷地になっていた。そこには、一般人を入れないようにする「ゲート」があったはずだ。これは「海軍第一門」といった。すずさんはどんなゲートを前にするのだろうか。
 さっきも述べたように、下士官兵集会所の建物の市街地側の方は出入り自由の購買所になっていたので、ここまでは普通に訪れることができた。第一門の「ゲート」は建物の真ん中あたりのところにあって、その先の海軍敷地に用のない者が出入りしないようになっていたらしい。
 ゲートであるからには、踏切みたいな遮断機があったのではないか、と最初思ってしまったのだが、下士官兵集会所の前のこの道は今でも4車線あって、おいそれとした棒などで塞げるものではない。ずっと昔の明治時代には、道を塞ぐ柵を作って真ん中だけ細く開けたところを通らせてたみたいなのだが、戦時中に米軍偵察機が撮った空中写真にも、戦後すぐに進駐軍が撮った写真にもそんなものは写ってない。進駐軍の11/2トントラックが通っても全然余裕の4車線分の広い道があるっきりだ。
 などといっていたら、『マイマイ新子』でも考証に協力していただいた前野秀俊さんが、
 「こんなものがありました」
 と、戦前の呉軍港の屋外電灯配置図を見つけてきてくれた。それを見ると、下士官兵集会所の向かいに何かあるらしく、屋外灯がつけられている。進駐軍が撮った地上の写真をよくよく見直してみると、たしかにそこに衛兵詰所らしい平屋造りがあって、その横にも番兵塔が立っていた。別の戦前の写真には、道の反対側の下士官兵集会所の建物前にも番兵塔が立っている。
 第一門には、道を挟んだ両側に番兵塔があって、そこに立った番兵が、ただ眼力だけでニラミを利かせていたらしい。
 番兵は、戦時中だと呉海軍警備隊の第2〜6分隊が軍港衛兵隊になっていて、ここから出されていた。眼鏡橋の海軍第一門のほかにも、第二門、第三門、第四門、堺川門などを固め、さらに、巡邏衛兵を街中にも出して市内をうろつく水兵たちの風紀維持を主な任務としていた。遊郭街なんかにも巡邏衛兵の派出所があって飲み過ぎた兵隊を吊し上げたりしていたし、うっかりキャラメルの箱をポケットに入れたまま第一門を通って艦に帰ろうとした水兵をつかまえては腕立て伏せをさせたりしていた。敬礼を欠いたというと吊し上げるし、既定に沿った服装をしていないというとまた吊し上げていた。前にも書いたかもしれないが、「うちの兵員が服装が違うと衛兵に吊し上げられていたのだが本当にこの服装だと間違っているのか?」と海軍省にまで問い合わせが行っていたりする。
 とにかく、遮断機なんか使わなくとも、ただにらみつける「おっかなさ」だけで道を通る者の前に立ちはだかっていたのだったらしいとわかった。


 巡邏衛兵にはもうひとつ定位置があって、それは呉駅の改札前だ。水兵が逃亡兵になってしまわないよう、そんなところでも見張っていたのだった。ということは、19年2月にはじめて呉にやってきたすずさんが最初に出会うのは、改札を出たところで見張るものものしい巡邏衛兵だったりするのかもしれない(写真3)。
 改札口には国鉄の女子職員がいる。19年あたまだとまだもんぺ式ズボンではなく、スカートをはいてるかもしれない。写真もあるけど、国鉄の服制を調べに図書館へ行ってきた。
 その横に立つ巡邏衛兵は水兵服の足元に白いスパッツをつけ、腰に剣帯をつけている。それから、警笛(ホイッスル)を持っている。
 「このスパッツって、どうやって留めてるのかな? 紐?」
 と、それを図示しようとしていた浦谷さんから質問が入る。考証担当は監督自身なので応じなければならない。いろいろひっくり返してみる。
 「ああ……ああっと、これは足袋のコハゼみたいなので留めてて、紐は一番上だけ。コハゼの位置は脚の内側だから、内側に線1本描いといて」
 「紐は? 紐が首にかかってるのだけど、この紐の先はどこに行ってるのかな?」
 「ええっと、ええと。ええー、それはホイッスルの紐で。……衛兵はみんな持ってるのかな? そうみたいね。ええっと、それはその水兵服の胸のあたりに小さい小さいポケットがあって……」
 「ポケット? 写真見ても見えない。……あ、あった。……あるのかな? 見えにくい」(写真4)

 町中を歩き回る巡邏衛兵はテッポウはもっていないのだが、第一門を守る番兵は銃をもっている。またまた文書類をひっくり返していたら、呉警備隊は九九式小銃と三八式小銃、それに伊式小銃を持っていることになっていた。三八式は同じ呉警の中にある高角砲分隊なんかに回されているようであり、衛兵隊の持ち物としては、九九式490挺、伊式500挺などという数字が出てきた。
 「せっかくだから伊式にしよう」
 「ええっ。どういうの、伊式小銃なんて? あと、腰に弾入れがあるよね」
 「弾薬盒の写真は、ええっと、ええっと。はい、これ」
 「階級章は? これ、どれくらいの階級?」
 「ええっと、ええっと」
 「善行章は?」
 「ええっと、ええっと」(写真5)
 「この衛兵所の前、汽車走るんだよね」
 「ええっと、軍港鉄道は詰所のもう少し先の方で引き込んできてるから、もうちょっと先に。あと、下士官兵集会所の向かいには海友社というのがあって……」
 「それも描くの? 写真ないじゃん」
 「写真は……あるかもしれない。ああっと、あった、あった、これ」
 「描くの? コンテにないじゃん」
 「コンテのときは写真なかったから」
 「こんな写真じゃよくわかんない」
 「これも壁がスクラッチ・タイルだから。それから鉄道引込み線の向こうは海兵団の敷地で、マストが立ってるから。鉄のマストなんだけど、軍艦のと違って鉄のヤグラなのが2本。高さだいたい25メートルくらい。そこに掲げる旗は、ええっとええっと」
 ……。
 そうやって作ったものが、完成画面の隅っこにちっちゃくちっちゃく映し出されてるかもしれない。

 そうだ、肝心のすずさんの19年2月の帯の結び方も確かめておかなくっちゃならない。原作の帯を見て「新しすぎるのじゃないか」といってくれた人があったのだけど、ちゃんと若い人が同じ結び方で帯を締めてる写真があった。きっと、すずさんよりもずっとおしゃれっ気のある妹のすみちゃん(20年7月にはサロペットをはいていた)が、結んでくれたのに違いない(写真6)。
 世界も風景も、いろんな種類のディテールが集まってできている。

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