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中村亮介監督インタビュー 第2回 照れくさくても、恥ずかしがらずにやる

小黒 脚本は連名になってますよね。これはどういうかたちになってるんですか?

中村 まず僕がラフプロットを作って、それをもとに内藤(裕子)さんにシナリオを書いてもらってるんです。実はその時の稿は、映画で観ていただいたストーリーとは全然違う物語で。さらに僕がリライトした初稿が決定稿になってます。

小黒 どうして自分だけで脚本を書かずに、内藤さんに入ってもらったんですか?

中村 自分からは絶対出ないアイデアがほしいと思ったんですよね。監督が作家として全体を統括する作り方って、自己満足、予定調和に陥りやすいので。内藤さんは普段「演劇集団 円」の演出をされていて、僕とは全然違うストーリーテラーの素質を持っている。キャラクターの奥行きだったり、世界観の広がりだったり。そうした幅を内藤さんに作ってもらって、豊かになった世界を僕が受け継ぎ、ストーリーにまとめ直した感じですね。お互いの得意分野が生きるかたちで、役割分担が上手く機能したと思ってます。

小黒 じゃあ、内藤さんが膨らませた部分も残っているんですね。

中村 はい。プロットのキャラクター造形に、「えっ、このキャラがこんなことするんだ」みたいな意外性が加わったり。特にキャラクターに関しては、内藤さんが広げてくれた幅は大きいと思います。もちろん僕が作った部分もあるんですけど。

小黒 じゃあ、観ていて照れくさい要素とかは……。

中村 それは僕ですね。照れくさいところは大概、僕です(笑)。

小黒 ストーリー展開的に驚いたのは、ナツキのキスシーン。あそこの高まりはすごかった。

中村 ありがとうございます。面と向かってそこを褒めていただくと超恥ずかしいんですけど(笑)。あのシーンを描きたくてしょうがない僕の思いが、全開で出てるというか、逆に出すぎてましたかね。

小黒 本気のパワーを感じましたよ。あのタイミングで来るか! みたいな。

中村 そうですね、本気出しました(笑)。「こんなのいいなあ」という願望を、ありのままに。それを恥ずかしがらずにやるのが、今回のテーマでした。恥ずかしがったり、気取ったり、かっこつけたり絶対しない。そういう自分の心の素肌って、見られるのがむちゃくちゃ恥ずかしいんですけど、格好つけずに素直に、恥ずかしさに耐えながら作りました。

小黒 いろいろなものが溢れるあまりこぼれ落ちている、と最初に言いましたけど、キャラクターに対する思いもそうですよね。特に、ケンジとナツキ。カホリもそうですけど。

中村 詰め込みまくってますね、思いを(笑)。

小黒 ひょっとして、未来人とか生徒会の暗躍とか、描かなくていいんじゃないかと思った瞬間はない?

中村 いや、それはないです。やっぱり「ねらわれた学園」という作品なので、その大枠は絶対に変えちゃいけないし、この作品のいちばんの核は超能力ですから。超能力をどう設定するかが、テーマと直結している。それを「ねらわれた学園」というストーリーの縦軸として、4人の恋愛模様を含めた人間関係を横軸として物語を語る、というスタンスですね。

小黒 予告だと、生徒会が生徒たちを弾圧するようなシーンがたっぷりあるように見えるんですが、実際はすごく短いですよね。

中村 そうですね。コミュニケーションというテーマを掘り下げていく上で、TVシリーズならば(生徒会の暗躍と青春模様の)両方をやれるだろうけど、劇場作品って本当に尺が短いので。描く題材、描く人を絞らないと中途半端になってしまう。だから、バランスとしては恋愛要素に重きをおいて、生徒会が学校を支配していくサスペンス要素は、結果的に薄くなったと思います。逆にそうだからこそ、恋愛要素には満足していただけたんじゃないかと思うんですけれど。

小黒 京極が現代に留まる力がリミットを迎える場面も、印象としてはやけに早いですよね。普通なら、もうちょっと段取りを踏んでから未来に帰らなきゃいけないという気がしたんですが。

中村 そうですね。いちおう段取りは踏んでるつもりなんですけど、ポイントに絞った描写なのと、尺的に短いので、印象に残りづらかったかもしれません。それから京極に関しては、Dパートに入るまでは一貫して客観的に描いているんですよ。常に外側からだけ彼を見ている。京極が具体的にどういう活動をして、この学校を支配していくのか、そこは具体的に描かないでほのめかすことで、想像してもらうことで怖さを感じてもらおうという作りにしています。Dパートで初めて、京極の内面にカメラが入りますけれど。

小黒 「ねらわれた学園」の元のストーリーを知っていると、逆に驚く内容になっていますよね。象徴的なのが、超能力バトルが始まるのかと思ったら「海に行こう!」というところ。尺的にそんな余裕はないだろう! と心配するくらいのタイミングで。

中村 (笑)。ふたつ理由があると思うんですけど、ひとつは主人公の立て方ですね。今の時代って、戦隊ものでいえばレッドを主人公として立てづらい世の中だと思うんですよ。ケンジってイエローの立ち位置だと思うんですけど、そんな主人公の性格からしたら、あの展開が作品的に相応しいだろうと思ったのがひとつ。それと京極という、一分の隙もなく完璧に見える子が、ケンジのペースに自然に巻き込まれていって、しだいに人間性を見せていく物語をやりたくて。このふたりのドラマは、そうした物語を強く意識していて、初期のプロット段階からずっとあの展開なんです。

小黒 そうなんですか。それは意外でした。

中村 今思えば「ねらわれた学園」という作品を現代に持ってきた時から、主人公とライバルの対決は、分かりやすく火花を散らすものにはなりえないのではないかという予感が、最初からずっとあったように思いますね。

小黒 で、ケンジが子供の頃に一度死んでいたみたいな話が、こう言ったらナンですけど、非常に分かりづらい。

中村 やはり、そこが話に出ますか(笑)。

小黒 あれは、現代においてケンジたちが超能力を使ったことが過去に影響してるということなんですか?

中村 ええと、そうじゃないんです。小説と映像作品の違いなのかもしれないですけど……説明のための説明はどうしても面白くならないので、説明不足とは思いつつ描写を省いているんです。作品的にそこにあまり注目してほしくない、他の部分を楽しんでもらいたいからなんですけど、多くの方が気になってしまうようじゃ僕の演出力が足りてませんね。

 いちおう説明しますと、まず、超能力が使える限界というか、何ができるかの範囲は決めておく必要がありました。そうでないと物語が都合よく見えてしまうので。決めごとにしたのは、超能力は無限に使い続けることができなくて、使い切ったら普通の人になるリミットがあること。あとはテレパシーの他に、時間を越えられること。何しろ京極は未来から来ますので。このタイムスリップの部分は、ストーリーのロジカルな整合性を取るのがものすごく難しかったですね。この作品の中での超能力の設定って、あの夢の中のシーンの前まで一度も説明していないんですよ。どこかで必ず一度は説明する必要があって、まずはその説明の為のシーンではあるんです。

小黒 分かります。

中村 それを本当に言葉を絞って、必要最小限のSF設定だけを説明をしたつもりでして。あと、ナツキは過去に能力を持っていたけど、今はなくなった人。ケンジは能力を封印されていたけど、目覚める人。カホリは元々能力を持ってなくて、今もない人。そして、京極は能力を持った状態で未来から来て、それをなくす人。そんなふうに、超能力を基準とした立ち位置の差も、そこではっきりさせたつもりです。

 その上でこの作品では、ひとつのシーンをひとつの目的だけで描くのではなく、複数の演出目標があることが多くて。ナツキの夢のシーンもそうで、あそこでケンジが言った「実はあの時……」というひと言は、たくさんの人に質問を受けたんですけど、あのひと言は、このシーンのいちばんの演出目的からすれば、実はなんでもいいんです。いちばん大事なのは、あの瞬間に中学生のケンジと子供のナツキの間に、「?」とコミュニケーションが成り立たないことで。ナツキには、彼が誰なのかも分からないし、何を言ってるかも分からない。観ている人の気持ちは、あの瞬間は子供のナツキと同じでいいのだと。

小黒 なるほど。

中村 つまり、言葉だけではコミュニケーションは成り立たない。それがあってこその、エンディング近くの、イメージ世界でのケンジと京極が手をつなぐやりとりでして。そのためには欠かせない布石なんです。そういう意味では、演出目標が非常にうまく達成されたとも言えるシーンなんですけど、皆さんにケンジの言葉の内容をすごく気にさせてしまったのは、僕の誘導が成功していないなあと。説明を省いたことで、かえってそこに注目させてしまったのかもと、あとから気がつきました。

小黒 無粋かもしれませんが、ちょっと説明していただけますか。

中村 はい。監督から説明しちゃうとあんまり面白い話じゃないんですが。そもそもナツキの夢の中でケンジが言ってる言葉なので、実際そうだったかは分からない前提で。そのへんもこのSF設定になるべく注目してほしくないからなんですけど……。

いちおう段取りを追って説明しますと、子供の頃に糸電話で遊んでいたら、ケンジがベランダから落ちて、そのケガが元で死んでしまったと。死ぬっていうのはある意味メタファーでもあって、以心伝心で成立していた子供同士のコミュニケーションが、以後成立しなくなるという。別の言い方をすると、糸電話の糸が切れてしまうわけですね。で、ナツキが時間を跳んでケンジを救って、ナツキは運動神経がいいから脚を折るケガですんだという話は、夢の中のケンジが語った通りです。これは同時に、存在理由の話、ラストにケンジが京極に「いてほしいと思う誰かが人がいるから、俺もお前もこの世界にいるんじゃないのか」と話すくだりにもつながってまして。

 この映画の結論として、本当の意味で気持ちが分かりあうことがなかったとしても、手をつなげば温もりは伝わってくるし、それで伝わる想いもある。もっと言うと、そういう「自分の思いを伝えたい」という気持ちであったり「相手の気持ちを知りたい」という思いのほうが、コミュニケーションにとって大事なことなんじゃないか。そういったことも全部ひっくるめて、それが僕ら人間の繋がり、絆のあり方なんじゃないか。もっと言えば、そうした希望、せつない願いこそが、僕らの存在理由そのものなんじゃないかなと。

小黒 じゃあ、現代で超能力を使ったことが、過去に影響を与えたわけではないんですね?

中村 はい。でもそれも面白い設定だったかもしれませんね。

小黒 そういう夢をナツキが見ただけなんですね、あれは。

中村 そうです。ナツキは超能力を失っているはずだから、厳密な話をすると、パラレルワールドの夢を見ること自体おかしいのかもしれないですけど。それとあの場面では、ケンジからナツキへのお別れを、予兆として伝えています。ナツキの力でいったんは先延ばしになっていた2人の別れが、いよいよやってくるんだなという兆しですね。

第3回へ続く

『ねらわれた学園』公式サイト
http://www.neragaku.com/