COLUMN

第7回 とあるひとつの運命

●2010年8月26日木曜日(21日目)

 注文した本、『空襲の史料学─史料の収集・選択・批判の試み』到着。

●2010年8月31日火曜日(26日目)

 『黒い盆地—呉市民の戦災応募体験記と資料』『呉戦災 あれから60年』(ともに呉戦災を記録する会編)を注文。

●2010年9月1日水曜日(27日目)

 ああいうことをしてみたい、こういう画面を作ってみたいと色々な想いは浮かぶ。
 呉の上長ノ木のすずさんの家の裏の畑から見えるはずの呉軍港は、こんなふうに見えるはず、という具体的なビジュアルさえ、航空写真や地形図やグーグル・アースなどを使って、ある程度まで頭の中に思い描くことができるようになってきている。庶民のつましい日常生活と、軍港が隣接する光景。その上に流れる時間。日々移ろうお天気。
 けれど、それらは「想い」の域のままに留まって、そこを出ることはない。表現として固定するための「手段」を得られるようになるまでには、まだまだ計りしれない前途が横たわっている。
 『呉市史』6巻を注文。

●2010年9月3日金曜日(29日目)

 『事典 昭和戦前期の日本—制度と実態』『広島市域方言分布図集』『全国アホ・バカ分布考』を注文。学校制度と方言についてざっと勉強しているところ。

●2010年9月5日日曜日(31日目)

 企画を提案してから丸ひと月が過ぎようとしている。
 何と何が前進して、何がまったくなのか。自分でもよくわからなくなっている。自分として今の段階で声をかけられる人にはすべて声をかけてみたし、最初に比べれば道はかなり開けてきてはいる。だが、客観的に見れば、この企画はいまだ「成立」にはほど遠いところを漂っている。
 あちこちに声をかけみた先方からのリアクションもなかなか帰ってこない。何もなかったかのように。こうなると、まるで、世界の片隅の端っこで、自分と自分の想いだけが孤独に取り残されてしまっているようにすら思えてきてしまう。

●2010年9月6日月曜日(32日目)

 じたばたしても仕方がないのだが、各所にメールしてしまう。その後、企画の状況に進展はありませんか?

●2010年9月8日水曜日(34日目)

 『広島市街図 昭和13年(復刻版)』を注文。
 このところ、ずっと資料集めを行っている。古書店への注文ばかりでなく、インターネットから拾ったものもある。呉鎮守府や呉海軍警備隊の戦時日誌だとか呉空襲の戦闘詳報なども集めている。
 夜中もふと目が覚めてしまったら、明け方までそれらの整理だ。昭和18年、19年、20年の毎日のそれぞれには何が起こったのか。その日のお天気は。
 そんなことばかり繰り返してきて疲れがたまってきているようで、今夜に至ってとうとう、なんだか砂を噛むような気分になってしまった。
 しかしそれは、何も進展することがなくなってもう10日ほど経つことへの不安感なのかもしれない。

●2010年9月9日木曜日(35日目)

 朝、仕事場に出ると、机の上に昨夜届いたのだという双葉社からの連絡と、こうの史代さんご本人からの手紙が置かれていた。
 救われた感。

 こうのさんからいただいた手紙について直接の引用は避けるのだが、したためられていたのはおおむねこんなようなことだったと思っていただきたい。
 ——申し訳ないのですが、監督の名前を存じ上げていませんでした。けれど、調べてみて分かったのですが、『名犬ラッシー』を作った方だったのですね。
 こうのさんは、毎週日曜日の19時半に始まるこのTVシリーズを熱心に観てくださっていたらしい。
 何か事情があってそうなってしまったのかもしれないけれど、飼い主の少年ジョンと(原作のように)引き離されることなく、いつまでもいっしょにい続けるラッシー。いつまでも子どもの日々が続けばよいのにと思った、と。こんな物語を自分もいつか描けるようになったらなあ、と思ったのだ、とさえ。
 自分にとって初監督作品である『名犬ラッシー』が放映されたのは1996年。想像するに、こうのさんが『街角花だより』で自身最初の商業誌連載に挑んでいたまさにその頃だったはずだ。
 その後、こうのさんはバイトが忙しくなってしまったので『名犬ラッシー』を最後まで見届けることができなかった、という。
 しかし、ここでまた出会うことができた。
 あの日々に眺めていたTVアニメを作っていたその同じ人が『この世界の片隅に』の映像化を望んでやってこようとは。

 この後、双葉社の方からは、「この企画は、なんといっても、原作者が『運命』といってるのですから」といわれるようになった。

 こうのさんのマンガ『この世界の片隅に』各章のタイトルは「19年4月」「20年8月」のようにつけられている。内容的には「昭和19年4月」だったり「昭和20年8月」のことが描かれているのだが、「昭和」という文字はあえて付されていない。「19年4月」の章は「平成19年4月」、「20年8月」は「平成20年8月」のそれぞれ誌上に掲載されていたのであり、各章のタイトルには二重の意味が潜められている。連載時にこの漫画を読んでいた読者は、ある意味リアルタイムに流れる戦時中の時間を体験できていたことになる。
 連載初回にすずさんが呉にお嫁に来るのは「19年2月」。平成19年2月にはわれわれは『マイマイ新子と千年の魔法』のロケハンのために防府を訪れていた。「20年8月」はこの映画の作画アップの目標時期。連載最終回の「21年1月」は、『マイマイ新子と千年の魔法』の上映が辛うじて再浮上に成功して、この後しばらく続くロングランに向かうことになったその頃だった。
 『この世界の片隅に』の上に流れる時間は、自分たちが『マイマイ新子と千年の魔法』を作り上げるために様々なものを振り絞っていた時間そのものだったのだ。  これもまたひとつの因縁というしかない。

この世界の片隅に 上

価格/680円(税込)
出版社/双葉社
Amazon

この世界の片隅に 中

価格/680円(税込)
出版社/双葉社
Amazon

この世界の片隅に 下

価格/680円(税込)
出版社/双葉社
Amazon