SPECIAL

第7回 1969年(昭和44年)国民的ファミリーアニメ始まる

TVアニメリスト1969年

 1969年は、現在も続く国民的ファミリーアニメ『サザエさん』が開始された年である。
 長谷川町子が朝日新聞に連載していた4コママンガをアニメ化。製作はTCJ動画センター(現・エイケン)。奇抜なキャラクターを主役にするのではなく、特定のスポーツを扱うのでもない。ごく平凡な家庭生活の出来事を題材にした点が画期的だった。優れた観察眼で人物の日常を膨らませた辻真先、雪室俊一、城山昇たち脚本家の功績も大きい。結果、本作は昭和の家族像を大切に守りながら、お茶の間に愛される長寿番組となるのである。
 劇画の画風がTVアニメの映像に急速に浸透したのもこの年である。原作の絵柄を、頭身の高い大人びたキャラデザインへとアレンジする傾向が生まれる一方、マシントレス導入という技術革新の動きが、荒々しいタッチの描線をセルに転写することを可能にした。この画風への取り組みは、前年より『サスケ』『佐武と市 捕物控』『巨人の星』などで徐々に試みられていたが、本年に入るといっきに加速。竜の子プロの『紅三四郎』、TCJ動画センターの『忍風 カムイ外伝』、虫プロの『どろろ』、東京テレビ動画の『男一匹ガキ大将』などにも次々と生かされていった。なかでも、10月より放映された『タイガー マスク』は、東映動画独自のゼロックスを活用。木村圭市郎が直線的で素描風のキャラデザインをそのまま作画にも生かす、という方法を実践し、骨の軋みや流血などを強調した激しいプロレスシーンをダイナミックに盛り上げることに成功した。
 少女向け路線にも新風が吹いた。東京ムービーは、初の女の子向けスポ根アニメ『アタックNo.1』を製作。原作は浦野千賀子。女性作家による少女漫画をアニメ化した初の事例ともなった。東映動画は『魔法使い サリー』に続く“魔法もの”第2弾として『ひみつの アッコ ちゃん』を発表。原作は赤塚不二夫。普通の女の子が変身能力を授かるという設定が新しく、女児の視聴者にとって作品世界はぐっと身近なものになった。
 10月には、『ムーミン』がスタート。トーベ・ヤンソンによる児童文学が原作であり、企画を手がけたのは瑞鷹エンタープライズの高橋茂人。TVアニメに名作路線を開拓した点で重要な1作となった。本作はまた、シリーズ途中での制作会社交替(東京ムービー→虫プロ)という珍しい事件が起きたことでも記憶に残る作品である。

ひみつのアッコちゃん 第1期(1969)コンパクトボックス(1)

価格:22000円(税込)
仕様:カラー/4枚組
発売元:レントラックジャパン
Amazon

タイガーマスク BOX1

価格:37800円(税込)
仕様:カラー/6枚組
発売元:東映アニメーション・マーベラスエンターテイメント
Amazon

ハクション大魔王 ブルーレイBOX

価格:54600円(税込)
仕様:カラー/8枚組
発売元:松竹株式会社 映像商品部
Amazon

データ原口のサブコラム

当時、アニメ業界では動画の線をセルに写し取る「トレス」という行程が、手作業によるハンドトレスから、ゼロックスやトレスマシンを使用するマシントレスへと移行しつつあった。

 世界で最初に、マシントレス技術を実用化させたのはウォルト・ディズニープロである。それは、ハロルド・ゼロックス社製の複写機・ゼロックスをアニメトレス専用に改造したものだった。暗い場所におくと電気抵抗が増加し(=電気が保存されやすくなり)、明るい場所に出すと電気抵抗が減少する(=保存されていた電気が流れ、失われてしまう)という半導体金属セレンの性質を利用した複写法である。ゼロックスが最初に使われた作品は、短編では『豆象武勇伝』(60年1月公開)、長編では『101匹わんちゃん大行進』(61年2月公開)だった。
 62年夏、日本で『101匹わんちゃん』が公開されると、東映動画はさっそくこのゼロックスに注目し、独自の研究を開始した。偶然にも同年2月20日、富士写真フィルム株式会社と、ランク・ゼロックス(ゼロックス・コーポレーションとイギリスのランク・オーガニゼーションとの合弁会社)とのあいだで、合弁会社・富士ゼロックス株式会社が設立され、各種ゼロックス機器の輸入、販売を始めたばかりだった。東映動画は、事務用複写機スタンダード・ゼロックス1318型を購入。一方、撮影機材メーカーの株式会社セイキにトレス専用の撮影カメラおよび画台の製作と、1318型の一部改造を依頼した。ディズニー式のゼロックスは、原画と同じ向き、同じサイズの絵しかトレスできないが、東映では、等倍用のカメラと画台のほかに、拡大、縮小、回転なども可能な移動用のカメラと画台も製作。まず63年8月に等倍用一式が完成。『狼少年 ケン』の第1話で部分使用された。移動用一式は翌年完成。以後、これらの機器は、TVや劇場作品のトレスにしばしば使われていった。だが、実際に使用を始めてみると、いくつかの問題が生じてきた。まず設備が大がかりで場所をとること(カメラから画台までの距離が約5メートル)、各行程が流れ作業で行われるため、計15名の人員が常駐する必要があること、維持費がかかり過ぎること、などである。

もっと簡易的なトレス用マシンは開発できないものか。東映動画は、絵コンテ印刷機の販売で出入りしていた株式会社城西デュプロ(後のデュプロ・システム)に話をもちかけた。65年ごろのことだ。同社は、自社で販売していた感熱式の印刷原版作成機デュプロファックスをもとに新型機を考案。まず取り引き関係にあった富士化学紙工業に依頼し、セルによく付着し、しかも絵の具に溶けない性質をもつ専用カーボンを開発させた後、67年夏にトレスマシン(R-631型)を完成。炭素を含む鉛筆やマジックの黒い線が、熱をよく吸収しやすい性質を利用したこのマシンは、作業の速さと簡便さから、まもなく業界中に普及していくこととなった。マシンの性能は決して完全ではなく、炭素系の少ない鉛筆(FやHなど)による線や、筆圧の強い線はうまくトレスできない、など問題もあったが、かすれた線の味わいが、かえって劇画調のアニメには似合っていると好評を呼ぶこととなった。トレスマシンを最初に用いた作品は68年9月から放映開始された『サスケ』で、原作の絵の雰囲気が見事にセル上に再現されていた。依頼元の東映動画は、ゼロックスを採用している立場から若干対応時期が遅れたようで、その年の秋から『魔法使い サリー』で導入した。

ゼロックスとトレスマシンのおもな相違点は、1)ゼロックスのトレス線がセルの表側につくのに対して、トレスマシンは裏側。2)ゼロックスは赤や緑など、黒以外の線も拾うが、トレスマシンは黒のみに反応。3)ゼロックスは拡大や縮小も可能だが、トレスマシンは1対1の大きさのみ。4)ゼロックスのトレス線は保存が効くが、トレスマシンの線は紫外線に弱く消えやすい、などである。とくにトレスマシンの1の特色は、彩色スタッフに好評だったという。セルの裏側から色を塗る彩色では、トレス線がせき止めの役割を果たし、絵の具のはみ出しを防ぐからである。

R-631型は約50台販売された。また、77年にはTR-77S、88年にはTR-88Sという後継機も開発され、90年代までメンテナンスを繰り返しながら業界の標準マシンとして愛用されたのである。

さて、東映動画のゼロックスだが、フル稼働していたのは60年代の後半まで。その後は、等倍用は使われず、移動用も劇場作品を除いては使用頻度が減っていったという。『タイガー マスク』でゼロックスを使用したことがしばしば話題になるが、これは同機の導入例としてはかなり特殊なケースだったことがわかる。
 84年、等倍用一式は、透過光処理のリスマスク作成機に生まれ変わった。また、残る移動用一式もまた87年に解体されている。代わりに85年、おもに合作用とポスター作成用を目的として、東映動画は富士ゼロックスから新型機2090をレンタル。これは、航空図面などの複写用に作られた機種で、純粋なアニメ用ではないため、絵の位置がずれやすく、トレス終了後にタップ穴をあける必要があったり、トレス線がセルの表側にできるなど不便な点も多かった。だが、大判セルのトレスには非常に便利で、他社にも利用されたそうだ。